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eBayで気づいたこと [感想]

小型エンジンのコレクションでeBayを利用しているが、私が注意して見ているWasp .049とHolland Hornet .049/.051に関して気づいたことがある。

Wasp .049について
 私がコレクションを始めた数年前にはeBayで常時、程度の悪いものからNIBまで3~4台のWasp .049は見ていたと思う。しかし、近頃では、一か月に一台も出品されないこともある。
 Atwood社から約15万台、Holland社から約10万台の計25万台も市場に出たWasp .049が、eBayに出品される機会がめっきり減ったように感じられるのは、手元にあった個体がほとんど出品されてしまったからなのか、コレクターが手放さなくなったからなのか、これはちょっと分からない。

 以前も書いたことがあるが、私のコレクションには、部品レベルも含めてWasp .049が10台くらいあるが、その中でも、世の中にある多くのWasp .049より、鋼製シリンダーの冷却フィンが一枚と一枚少なく、その代わり、アルミ製のシリンダーヘッドの冷却フィンが通常より一枚多い、というモデルがある。さらに、クランクケースに"S"の文字らしい刻印がある。いろいろ刻印するのはBob Hollandの趣味だが、この個体にHolland Waspを示す"H"の刻印は無い。

 これまでeBayに出品されたWasp .049の写真を100台分以上集めているが、こんなモデルはこれまで見たことが無い。元の持ち主もこのことには気づいていなかったというし、Wasp .049に詳しい在米のコレクターに尋ねても、こんなモデルは見たことも聞いたことも無いという。これはいったい、どんな素性のエンジンなのだろうか。
1s部分.jpg
鋼製フィン1枚のWasp .049

Holland Hornet .049/.051について
 Holland Hornet .049/.051は製造数量が少なかったこともあって、私がコレクションを始めたころから、Wasp .049に比べれば落札価格が約5倍以上高価だった。しかし、いまから考えれば、まだまだリーズナブルな価格だった。ところがその後、存在数が少ないことから希少価値も手伝ってか、落札価格がずいぶん値上がりすると共に、eBayに面白い傾向が見えて来た。
 たまたま出品されたHolland Hornet エンジンが高額で落札されると、後を追うように、2~3台が同じタイミングで出品されることだ。コレクターが高額の落札価格を見て放出する気になったのかとも思われるが、果たして?
HH 4s.jpg
Holland Hornet エンジンのコレクション(この写真を撮った後、さらに増えている)

 あまりネタが無いので、この程度の内容でお許しいただきたく思っているところです。 

(完)

なんと言う円安、困ったものだ! [感想]

円安は困ったものだ
 eBayで欲しい模型エンジンを落札してコレクションを充実させて来た。
 その昔は70円/㌦という、史上最高の円高のころは、カメラのコレクションに熱を入れていたので、海外に行くたびにドイツのカメラを熱心に買い集めていた。
 模型エンジンのコレクションに熱を入れていたころは、だいたい100円/㌦だったので、eBayで落札してもまあまあリーズナブルな価格だった。
 ところが、最近は121円/㌦を超える円安で、eBayの落札額をドルで見ては円に換算して、呆れている。
それでコレクションはどうなった?
 私にとって幸いだったのは、100円/㌦の頃に、各社のHalf Aエンジンをほとんど集めてしまっていたことである。
 もっともお気に入りのHolland Hornet .049/.051エンジンに関しては、そのすべてのモデルがすでに集まった。現在では、重複したモデルも含めて手許に19台ある。
今後どうするの?
 欲しいエンジンは今でもいくつもあるが、かつての2割高のお金を払ってまでは購入しようとは思わなくなった。そう思い切ると心は平安で、皆さんがどんどんセリ上げる様子を楽しんで見ている。
 そして、かねてより手をつけている「ホーランド・ホーネット・エンジン物語」の完成に向けて力を入れようと考えている。(A5判170頁の別の本が今月初めに完成したので、こんどはこちらに注力しよう。)

 また、言い訳染みたことを書いてしまった。ただ、難しいのはエンジンの写真撮影。
 Nikon D300と、少々古いがMicro Nikkor Auto 55mm F3.5を用意しているのだが、どんな置き方で、どんな照明方法で、影が出ないように撮影したら良いのか、うれしい悩みを悩んでいるところである。

ほととぎすの花が満開です [感想]

エンジンの話ではない
  「ホーランド・ホーネット物語」がいよいよ終盤を迎え、コレクションしているホーランド・ホーネットのエンジン10数台の写真を、微に入り細に入り撮影しなければならない時期に至っている。そんなわけで、今回はエンジンの話ではないのが心苦しい。
茶花のほととぎす
 鎌倉に住んでいる頃、近所に茶道の織部流の先生が住んでおられた。毎週土曜日の午前中には茶道を習いに行っていた。大船大仏と切り通しを挟んで反対側の山の上の、桜の老樹20数本に囲まれたお屋敷で、老女と娘さんとの2人住いだった。普段の練習は4畳半の小間だったが、お初釜はお弟子さんが皆集まって、8畳の部屋で行われた。天井には百人一首の絵を描いた正方形の板が全体に貼ってあった。
お庭を歩きながらお聞きしたお話の中に、茶花のほととぎすのことが出てきて、本の中の写真を見せられた。
通勤途中にほととぎすを見つける 
 小田急線で通勤中、健康のために一駅手前で下車して歩いた。その途中に自然そのままの林があり、そこでたくさんのほととぎすを見つけた。数株失敬し、花をお茶の先生にお届けし、根は植木鉢に植えた。以来30数年、わが家のほととぎすは毎年たくさんの花をつけて楽しませてくれる。今年もその季節がやって来た。
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Bob Hollandに魅せられて [感想]

Bob Hollandを知ってから
 中学生時代にアメリカ文化センターの図書室でModel Airplane News誌のEngine ReviewでHolland Hornet .049の記事を見て、そのユニークな形状が記憶に残っていた。小型模型エンジンに強い関心を持った最初のころは、Cox社のThermal Hopper .049のスリムな外観とコンテストでいつも上位を独占する性能に惚れ込んでいたが、Atwood Wasp .049が1/2Aクラスの幕開けのころの最強のエンジンであると知り、たまたま、その設計者がBill Atwoodではなく、Bob Hollandだと知って俄然、Bobに関心を持つようになった。

Bob Hollandのエンジン
 中学生時代からの記憶にあったHolland Hornet .049を入手し、歴史的に調べてみたらナント、Thermal Hopperを初めて破ったのがHolland Hornet .049だということが分かると、彼の関与したエンジンをすべて集めようと考えた。
・ Atwood Wasp .049 / Holland Wasp .049
・ Holland Hornet .049 I / .051 I
DSC_7890s.jpg
Holland Hornet .049 I

・ Holland Hornet .049 II / .051 II
Normal051 II比較用s.jpg
Holland Hornet .051 II

・ Holland Hornet .049 II Modified / .051 II Modified
・ Holland Hornet .051 II Two-Speed
前右前方より2s.jpg
Holland Hornet .051 II Two-Speed

・ Holland Hornet .049 II Variation / .051 II Variation
Holland Hornet .049 Unique Cylinder周囲カットs.jpg
Holland Hornet .049 I のVariation Modelは不可解!(集めていると面白いことが出てくるものだ。ヘッドは普通タイプ)

手許に集まったエンジンたち
 私は各社の小型の模型エンジンを集めて来たが、そのいずれもがBob Hollandのエンジンを集めるための序章だったような気がする。現在では、Atwood Wasp .049 5台、Holland Wasp .049 3台、Holland Hornet エンジンは全種類集まったが、中には同種のエンジンが複数台あるものもあって19台と、結構な数量になった。
 細かな部品の差異を見つけたり、程度の良し悪しなどを比較したり、大いに楽しんでいるところである。前にも書いたが、Holland Hornet エンジンについて現在書いている本の頁数が、日を追うごとに次第に増えていくので、なかなか完了しないのを、ある意味、楽しんでいる。

 Holland Hornet エンジンを探索する旅はまだ当分続きそうである。
(完)

模型飛行機を飛ばした思い出 [感想]

新聞記事を見て思い出した
 3月12日付朝日新聞夕刊に「ひとえきがたり」の欄に仙台貨物ターミナル駅が取り上げられていて、記事の中に、「駅の西側は総合運動場。その中心はプロ野球・東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地、日本製紙クリネックススタジアム宮城だ。」とある。
 昔このあたりで模型飛行機を飛ばしたことを思い出した。

宮城野原
 この一帯は古代には和歌に詠まれた都人の憧れだった宮城野原で、1950年に宮城球場が出来たが、その周りに他の施設は何も無く、模型飛行機を飛ばすには最適の広い原っぱだった。ここでWen-Mac .049を装着したフリーフライト機を、ほぼ2ccの燃料を満タンにして飛ばした結果、長すぎるエンジンランで追いかけるのに苦労した話は前に書いた。
 当時、仙台市内で模型飛行機を飛ばすのは、この宮城野原のほかに、米軍管理の霞の目飛行場があった。米兵が大多数のUコン機の大会はここで開催された。友人が自作のUコン機で参加したのについていって、ここで生まれて初めてコカ・コーラを飲んだ。(苦くて、どこがおいしいのかと疑問を持ったためか、今でも飲みたいとは思わない。)

その宮城野原が
 下に朝日新聞の記事を示す。
宮城野原朝日新聞明るくs.jpg
「ひとえきがたり」(2013年3月12日付朝日新聞夕刊)

 この記事を見る限り、宮城野原に昔のゆったりした趣きはまったく無いようだ。
 昔、模型飛行機クラブのメンバーが集まって、午前中から夕方まで、自分たちで作った機体を、首が痛くなるほど上を見上げて、風のまにまに漂うのを、足元を気にしながら駆けて追いかけた昔が懐かしい。
 新聞記事を見て思い出したので書いておく。

アメリカの模型エンジン・メーカーの変遷をたどったら面白いでしょうねー [感想]

進駐軍の兵士たちがUコントロール機を皇居前広場で飛ばしている写真を、日本の模型雑誌の口絵で眺め、購入したFuji 049が砂型鋳物で灰色にくすんでいる時に、横流しされたアメリカ製の模型エンジンはダイキャスト製で肉が薄く軽量で、表面がピカピカに光っていた。
昭和20年代後半から30年代前半に、タクシーに使われていたダットサンのプレスしたボディ表面を斜めに見ると、アメ車に比べて凹凸が目立っていた。それもこれも、当時の彼我の技術力の違いだった。
昭和30年代前半までに模型店の店頭で見たことがある模型エンジンは、Wasp 049, Wen-Mac 049, McCOY 049 Diesel, Cox PeeWee 020, Cox Babe Bee 049などの小型のものに加えて、記憶に残っているのはそのパーツをたまたま持っていたTorpedo 29であった。店頭に飾ってあるエンジンは、横流し品の中古が主だったが、たまに新品がケース入りで置いてあるのを見ると、その輝きに魅了されたものである。
それらの昔のエンジンが懐かしい年齢になり、いろいろ思い出のエンジンのコレクションを始めたら、それらのメーカーの多くはすでに無くなっているではないか。世界でもっとも多くの台数のエンジンを出荷したCox社も1996年に身売りしてしまい、今は無い。アメリカの小型エンジンを集めると言うのは、今は無き昔の模型エンジン・メーカーを追い求める旅になってしまったようだ。
昔、061 cu.in(1 cu.cm)以下の小型模型エンジンを製造していたメーカーを挙げてみよう。(アルファベット順)
AMF Models/Wen-Mac(Wen-Mac), Atwood Mfg.(Wasp 049), Cheminol Corp.(O & R 049), Duro-Matic Products Co.(McCOY 049), Dynamic Models, Inc.(Holland Hornet 049), Fox Mfg. Co. Inc.(Fox 049 FAI), Herkimer Tool & Model Works Inc.(OK Cub 049), Holland Engineering(Hornet 049),
K&B/Allyn(Sky Fury) and K&B Mfg(Torpedo), L. M. Cox Mfg Co.(Thermal Hopper), Mel Anderson Mfg. Co.(Baby Spitfire)。
1950年代以降の模型雑誌を集め、各社のエンジンの広告や評価の記事を見ていると、製品の変遷が見えてきて、懐かしいことこの上ない。
いつか時間が出来たら、いくつかの模型雑誌に案内されて、アメリカの小型エンジンの足取りを、メーカーごとにたどって見たいと思っている。

セカイモンに注意! [感想]

eBayのオークションで欲しいものがあっても、出品者の都合で、送付先が米国内に限るとか、日本が外されている場合は、指をくわえて見ているしかありませんでした。
そんな時、eBayと提携しているセカイモンが代行してくれると言うことが分かり、セカイモンで落札すれば、セカイモンがアメリカで受け取り、日本に送ってくれると言うのです。
そんなわけで、送付先が米国内に限られている品物ても落札すれば入手できる、これは良い方法だ、と考えたのは、甘かったのです。

あるエンジンを落札し、受け取るのを楽しみにしていたら、ずいぶん時間が経ってから「輸入規制による取引キャンセルのご連絡」という日本文のメールがセカイモンから来たのです。

> この度、落札されました上記商品についてご連絡致します。
> 当商品がセカイモンL.A物流センターに入荷し、商品確認を行ったところ、
> 輸入禁制品、または航空貨物規制品に該当する商品でございました。
> ■商品確認結果:入庫商品は輸入規制に該当する可燃性商品が中に含まれて
> いる為、発送できません。
> 上記理由から、お客様への発送が不可、もしくは通関手続きが困難なため、
> お取引をキャンセルとさせていただきます。
> 通関については税関までお問合わせください。
> URL: http://www.customs.go.jp/question2.htm
> (輸入禁制品・航空貨物規制品に該当すると思われる商品は、入札が
> できないように設定しておりますが、
> 出品者の登録内容によっては落札が可能な場合がございます。何卒
> ご容赦ください。)
>
> お客様への返金の際、セカイモン手数料の50%相当を商品の購入代行、
> 入荷時の商品確認の手数料として控除させていただきますこと、あらかじめ
> ご了承くださいませ。

そこですぐに、「規制リストにある「エンジンオイル」は可燃性の恐れがあるからで、アルミと鉄で出来ている模型エンジンのことではない、これまで何度も輸入しているので問題無いはず、とメールを送っても「問答無用」。
何の説明も無いまますぐに、今度は商品代金と手数料の残りを振り込むという英文のメール!!
まったく誠意のかけらも感じられないのです。

皆さんもご注意のほどを。

Cox社のエンジンは集め始めるとキリが無い [感想]

最初に入手したCox社のPee Wee .020と、形態の良さと高性能振りが気に入って入手したThermal Hopper .049等から始まった私の小型エンジンのコレクションも、Cox製品の種類の多さに負けて、だいぶ以前からは他社製エンジンのコレクションに力を入れるようになっています。
Cox社は51年の歴史の中でナント(!)約5,000万台のエンジンを製造し、最盛期には月産100万台を達成したとも言われています。
特に、LeRoy(Roy) M. Cox氏が1950年代前半に雇った若いエンジニアBill Selzerが考案した、押し出しのアルミニューム材を加工してクランクケースを製造する方法は、加工容易でかつ、低コストを実現できるので、大量生産に向いていたのです。(製品としては1956年にリリースされたBabe Beeから採用されました。)
下の写真は、.049モデルに使用されたシリンダーとクランクケースの種類です。
CoxCylinder s.jpgCoxCrankCase s.jpg
Cox社の.049モデルに使用されたシリンダーとクランクケース(写真は"COX Model Engine Handbook"より)(Tee Deeシリーズのクランクケースは、ここには載っていません。)

クランクケースの左上のダイキャスト製は、最初期にリリースして高性能振りをアピールした製品Space BugやThermal Hopperに使われ、その後、低価格のSpace Bug Jr.やその実物や写真を見ることの少ないStrato Bugに使われただけで終わりましたが、私はこのデザインが最も好きです。
右下は、珍しくダイキャストに戻ったのですが、加工精度を出しにくく、苦労したそうです。
それ以外は押し出し材を加工したもので、設計変更が極めて楽だったそうです。

これらのシリンダーとクランクケースの組み合わせだけでも、単純計算で54種類ありますが、シリンダー内部を削って形成する混合気の通路の形状や数(1本か、2本か)、バックプレートや燃料タンクもたくさんの種類がありますから、さらに数多くの組み合わせが可能だったのでした。
また、大量生産した結果、部品のストック数量にも多寡が生じますので、例えば、AエンジンのシリンダーとBエンジンのクランクケースを組み合わせたモデル、といったものすら出荷されたと言われています。
これはコレクター泣かせで、いくら集めても集めきれないのです。
下の写真は、アメリカのコレクターDan Sitter氏のCOXエンジンのコレクションです。
Dan Sitter's Collection2.jpgOct18254.JPG
Dan Sitter氏のCOX Model Engineのコレクション

ということで、私もCoxエンジンは.010.、020.、049、.051を合わせて20台くらい持っていますが、これからは、台数よりは、特徴のある製品に特化して集めようと思っています。

模型エンジンはアメリカ製だけではない [感想]

第二次世界大戦で負けた日本は、衣食住どころか、文明全体がアメリカの影響を受けました。素直にその影響を受けたのは、日本人の自信の無さや舶来品信仰もさることながら、物資欠乏という逃げようの無いところに、山ほどの品物を目の前に積まれては、もう、参りました、というほかは無かったものと思うのです。
連合軍という言葉は知っていても、戦争はアメリカに負けたと思っていましたし、進駐してきた軍隊の中にはアメリカ兵以外もいたのでしょうが、当時の我々にはアメリカ兵とそれ以外の国の兵隊と見分けることは不可能だったでしょう。
敗戦後持ち込まれた援助物資はアメリカからだったし、アメリカ文化センターにあった図書類はすべて、アメリカで出版されたものでしたから、ヨーロッパの文物に対して興味を持つきっかけが無かったのも当然でしょう。
模型エンジンもそうでした。Model Airplane News誌に掲載されているエンジンのテスト記事や広告は、ヨーロッパのエンジンはほんの一部でしたし、以前も書いたと思いますが、市内の模型店にあった海外のエンジンはすべて、アメリカ兵から横流しされたものだったのですから、アメリカ製に限られていました。

そんな次第で、大学を卒業するまで、目にした模型エンジンのほとんどはアメリカ製だったのですが、それでも、雑誌に載っているコンテストの記事や小さな広告から、ヨーロッパにも素晴らしいエンジンがあることは知っていました。特に小型エンジンは、1/2A級より小さいディーゼル・エンジンの存在を広告で知りました。

その後も、ヨーロッパの模型エンジンに関する情報は限られていたし、コンテストで活躍しているヨーロッパのエンジンを欲しいと思っても価格も分から無い上に、1ドルが360円の固定ドル相場制で、外貨の入手も容易でない時代でした。通販も無い当時は、ヨーロッパからモノを買うなんていうのは大変なことだったのです。
ところが、情報化時代の現在でも、ネットで調べてもなかなか情報を得られないのです。
こんなじょうきょうだったのですから、日本の模型飛行機愛好家がヨーロッパの模型エンジンに関心を持てなかったのも当然だったのです。

しかし、どの時代にも、どの国にも、どんな物にも「好き者」は居るもので、インターネットで丹念に調べると、インターネットで人を探すと、「探し物」はかならず引っかかってくるのが現代です。

私が入手しているヨーロッパの模型エンジンに関する書籍は以下の3冊です。
A PICTORIAL A TO Z OF VINTAGE AND CLASSIC MODEL AIRPLANE ENGINES (Clan Enterprises, 1987)
Collectors' Guide to MODEL AERO ENGINES (ArgusBooks LTD. 1977)
Swedish MODEL ENGINE ENCYCLOPEDIA (Private, 2010)

模型飛行機愛好家はどの国にも居るし、模型エンジンを作るための機械加工の技能を持つ人もかならず居ますから、どの国にも模型エンジンがあるのですね。私はアメリカ製のエンジン以外は、日本のKO Diesel 049とENYA 29を除いて、持っていませんが。

小型エンジンの発展(4):業界の盛衰 [感想]

このブログの最初のころに、「小型エンジンの発展」のタイトルで3回書きましたが、その中で、戦後、小型の模型エンジンが隆盛になったきっかけとして、
炭酸ガス(CO2)エンジンの発売、グロー・プラグGlow Plugの導入、Infant Torpedo .020の発売、
の3点を挙げました。
今回は、Infant Torpedo .020のあとの小型エンジンの製品について、また、この業界の盛衰について述べてみたいと思います。

エンジン小型化のキーになったグロープラグを模型エンジンに持ち込んだRay Ardenが、グローエンジンを製品化して世に出したのは0.099cu.in.のArden .099(1947年)が最小でした。この大きさのイグニッション・エンジンなら戦前からありましたので、特に目新しくはありませんでした。しかし、K&B社が Infant Torpedo .020(1948年)を発売したことで、グロープラグを使用する模型エンジンの小型化が一挙に現実のものとなりました。
Infant Torpedo .020はベスト・セラーになりましたが、0.02cu.in.では機体をよほど軽量に作らないとパワー不足であることがすぐに明らかになって、もう少し大きい(せめてその2倍くらいの大きさの)エンジンの要望が出てきました。

それに応えたのがMel Andersonで、Baby Spitfire .045(1949年)を発売しました。そのあとを追ったのがHerkimer Tool & Model Works社で、OK Cub .049(1949年)を発売した後、気筒容積が0.039 cu.in,、0.06 cu.in.、0.75 cu.in.等のグローエンジンやディーゼル・エンジンを次々に世に送り出しました。

このような小型エンジンを想定していなかったAMA(Academy of Model Aeronautics)は、戦前からのルールでは、気筒容積で0 - 0.19 cu.in.がA級だったのを、1949年にA級を2つに分け、0 - 0.05cu.in.を1/2A(Half-A)級、0.051 - 0.20 cu.in.をA級としました。

OK Cubの製品の展開を見て、 Infant Torpedo .020を出したK&B社も黙っていません。 Infant Torpedo .020と瓜二つの「そっくりさん」の外観デザインで、気筒容積が0.035 cu.in.のTorpedo Jr.(1949年)や0.049 cu.in.のTorpedo .049(1950年)をもって1/2A(Half-A)級に参入します。

これまで挙げたエンジンは、いわゆる「スポーツ用」でしたが、AMAが新設した1/2A級のための競技用エンジンを開発しようとの機運が高まり、1951年から「馬力競争」が始まりました。

トップ・バッターはBill AtwoodのWasp .049です。それまでの「ストーブ・パイプStove Pipe」型の「小径・ロングストローク」から、高速回転を目指した「大径・小ストローク」の近代的なデザインに変えたのです。
馬力はトルクと回転数の積ですが、特に小型エンジンではトルクを大きくするのが難しいので、回転数を大きくすることで馬力アップを図ったのです。これは、ホンダが得意としたオートバイや四輪車に進出した時のN360/N600が積んでいた「大径・小ストローク」の高速タイプのエンジンも同じ思想です。(それにしても、いくらオートバイで実績があるとは言っても、ホンダのこれらの四輪車がチェイン・ドライブを採用しているのには驚きました。)
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Wasp .049

これに対抗してMel Andersonが出したのがRoyal Spitfire .065(1951年)やRoyal Baby Spitfire .049(1952年)です。以前のBaby Spitfire .045と比較すると、外観形状の違いが良く分かりますね。
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Royal Spitfire .065(シリンダーがずんぐりしている)

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Baby Spitfire .045(典型的な「ストーブ・パイプ」型のシリンダー)

そこに突然現れたのが、外観的には旧式の「ストーブ・パイプ」型のシリンダーを持ち、背後にアルミ・ダイキャスト製の巨大な燃料タンクを付け、聞き慣れないリード・バルブ式のキャブレターを持ったL. M. Cox社のSpace Bugで、1952年に発売されました。以後、Space Bugから大型の燃料タンクを外したThermal Hopper(1953年)ともども、AMAのコンテストでは無敵の強さを発揮し、1/2A級の全種目で上位を独占したのです。価格は共に6ドル95セントでした。
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Space Bug(見かけは「ストーブ・パイプ」型のシリンダーだが、内容は逆)

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Thermal Hopper(タンクは無くなった分、キャブレターは背後に飛び出している)

Space BugやThermal Hopperは、旧式の「ストーブ・パイプ」型のシリンダーに見えますが、実際には、Bore 0.406 in.、Stroke 0.386 in.の、「大径・小ストローク」の、先端を行くデザインのエンジンなのです。L. M. Cox社のテスト・データによれば、6インチ径x3インチ・ピッチのプロペラで17,000rpm、5インチ径x3インチ・ピッチのプロペラで21,000rpmとありますから、当時のエンジンの中ではダントツの高速回転でした。

1953年にBob HollandはBill AtwoodからWasp .049の権利と工作設備を買い取り、同年からWasp .049の製造・販売を開始しました。(Holland Waspはシリンダーケース側面に"H"と浮き彫りしてあるとのことです。私はWasp .049を3台持っていますがその中には無いし、これまでも"H"のあるWaso .049は見たことがありません。)
その後、独自のデザインのHolland Hornet .049(1957年)を発売しました。このエンジンはロータリー・バルブでしたが、Cox社のThermal Hopperのライバルになるほどのパワーがあり、コンテストでも好成績をあげました。
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HorllandHornet .049 II型

ところで、1953年とその前後の年は小型エンジンの当たり年でした。Bill Atwoodが設計によるWen-Mac Corp.社のWen-Mac .049(1952年)やAtwood Motors社のAtwood .049(1953年)、また、Allyn Sales Co.社のAllyn Sky Furry .049(1953年)などが市場で成功しました。
さらに、McCoy Products Co.が、大型エンジンで彼らの特徴だった赤いシリンダー・ヘッドを受け継ぐ一連の小型エンジン、Baby Mac .049(1951年)、McCoy Duro-Glo .049(Diesel、1953年)、McCoy Glow .049(1955年) を、Herkimer Tool & Model Works社も、OK CubシリーズでCub .039(1950年)、Cub ,049X(1952年)、Cub .049B(1953年)などを次々に発売しました。
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赤いヘッドのMcCoy Duro-Glo .049 Diesel

このころから、Leroy Coxは、紐付きの競争自動車の世界に戻ると共に、模型飛行機用のエンジンでは競技用からスポーツ用に比重を移しました。(彼が1945年にガレージで創業した時は、紐付きの競争自動車の製造から始めたのです。)
そして、Space Bugの燃料タンクをナイロン製にしたSpace Bug Jr.(1953年)を3ドル95セントという低価格で売り出したので、それまで競技用のエンジンで張り合ってきた他のメーカーも低価格競争に巻き込まれてしまい、この競争で敗れた多くのメーカーは退場していきました。そして、競争相手が減ってからCox社は、Space Bug Jr.の値段を4ドル95セントに値上げしました。(どこかで聞いたことのあるお話ですネ。)
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Space Bug Jr.の3ドル95セントの広告(MAN 1954年2月号)

なお、前に書きましたように、ロータリー・バルブを採用したHolland Hornet .049はコンテストでは、天下無敵と思われたSpace BugやThermal Hopperを相手にその高性能振りを存分に発揮し、好成績を挙げました。Space BugやThermal Hopperが採用したリードバルブはロータリー・バルブに敗れたのです。
実は、リードバルブには砂やほこりが入り込むとバルブの開閉が正常に行われず、性能が低下するという思わぬ弱点を持っていたのです。模型飛行機を飛ばすのが常にきれいな場所とは限りません。海岸、草原、時には砂漠のような場所もあるはずですから、強い風で砂やほこりが舞い上がると途端に、不調になることがあったのでしょう。

スポーツ用のエンジンに進出し、工場も大きくなって、小型エンジンではCox社の独り勝ち、に見えたのですが、夫人が亡くなったのを機会にCoxが1969年に会社を売ってから、何度かの会社の売買があって、2009年にはその歴史に幕を閉じました。

現在アメリカでは、いくつかの新興メーカーが1/2A級のエンジンを製造しています。また、手作りで過去の名エンジンのレプリカを作るメーカー、極超小型のエンジンを作っているメーカー等があります。しかし、RC機の発展にともない、エンジンは大型化、4サイクル化が進んで、小型エンジンの世界に昔のような活気は望むべくも無い、というのが現状です。

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