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古い雑誌「科学朝日」が出てきた! [ご紹介]

 今回も模型エンジンと直接の関係はありません。

出てきた「科学朝日」
 長い人生の間には、いろいろなものが手許に溜まって来るものだ。ときどき、こんなものがあったの?と自分で驚くことがある。昨夜出てきたのは、雑誌「科学朝日」二冊で、一冊は1941(昭和16)年11月号(B5判全138頁、定価50銭)、もう一冊は1945(昭和20)年10月号(B4判紙8枚の二つ折りで、綴じられていない、定価80銭)である。
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科学朝日昭和16年11月号

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科学朝日昭和20年10月号

太平洋戦争開戦直前
 昭和16年11月号と言えば、太平洋戦争開戦直前にあたる。「特輯 戦車と偽装」ということで、欧米の戦車の紹介をすると共に、「1000トン戦車は可能か?」という、アメリカで発表された1000トン戦車の可能性を、署名無しの記事で論じている。なお、軍の機密保持の観点からか、日本軍の戦車の写真や解説は一切無い。司馬遼太郎が徴用され、陸軍の戦車兵になった時のことを追憶する話をラジオで聞いたことがある。彼はその中で、日本の戦車の装甲が薄っぺらな鉄板だったので、砲撃されたらひとたまりもない、と話していた。その後、日本の戦車の情報を知るにつけ、日本の戦車が欧米の戦車に比べて実に貧弱なので、がっかりしたことがあった。

敗戦直後
 敗戦が8月15日で、昭和20年10月号の印刷は昭和20年9月25日となっているから、敗戦後41日に印刷されたことになる。巻頭の記事が「特輯 わが秘密兵器の覆面を剥ぐ」となっている。小見出しを挙げれば、「フ号兵器」気球爆弾(「フ」は風船のことだろう)、「ケ号兵器」グライダー爆弾、「レ号兵器」魚雷艇、「トク号兵器」殺人光線、各種ロケット砲、特攻兵器さまざま、など、これらが完成していればもしかすると戦況挽回もありえたか、といった感じの記事を書いているのは、戦争で敗れた直後の記者の心の中が表れているようで、いじらしい。
 この特集の後半には、「航空機機体は・・・・」の見出しで、戦争中は掲載できなかった機体の写真(「彩雲」、「銀河」、エンテ型の「震電」等)や図面(四発攻撃機「連山」、ロケット機「桜花」、ジェット機「橘花」等)がある。
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「震電」の写真や「連山」(右最下段)の図面等が見える

最後の見出しは「航空発動機は・・・」
 一読して、この記事は良いところを衝いていると感じた。要約すると、以下のようになる。

- 欧米の同級エンジンと比較すると、小型、軽量、高馬力だが、最初から仕様ギリギリに設計されているので、それ以上の性能向上は出来ない。一方、米国のダブルワスプが始めは1800馬力だったが、その後2000馬力、戦争末期には2400馬力まで向上した。
- ダイムラーベンツの液冷エンジンをコピーして国産化したが、我が国の液冷の技術では、本家ほどの性能が出せなかった。
- エンジンの高々度性能を上げるのに必要な過給タービンの技術が欧米に比べて劣っていた。(タービンの高速回転の技術は、ベアリング等難しい。)

 まあ、実に素直な表現だし、日本の製品の小型・高性能という状況を知っているので、「マイリマシタ」といったところだ。また、別情報源だが、油漏れを防ぐパッキンの技術が、合成ゴムの特性の観点から、耐油性で劣っていたとも聞いたことがある。このあたりは、戦前の日本の技術の限界を示していると言うことだろう。

その次の記事は「原子爆弾と未来の戦争」
 広島への原爆投下から1か月半後の印刷なのに、アメリカ人が"LIFE"誌に書いた本タイトルの記事が翻訳、掲載されている。広島へはB-29から投下されたが、この記事では、原爆をロケットと組み合わせたら、防禦が難しいと書いている。ただし、放射能の恐ろしさには一切触れられていない。このあたりには、米国(政府?軍部?)の思惑が絡んでいるのだろうか。
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